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"尿でもフィルムは現像できる" - 名著 The Film Developing CookBook を読む

現像

フィルムと現像液の組み合わせや、現像プロセスによって異なる結果が得られるのは、フィルム写真の大きな魅力の一つです。今回ご紹介するのは、白黒写真に関する現像液やプロセスの特性について解説された 1998 年発刊の書籍です。カラーネガフィルムは C-41 プロセスが業界標準となっていますが、白黒フィルムはそれほど標準化が進められてきませんでした。そのため、フィルム愛好家たちはフィルムごとに最適な現像液や現像時間を模索し続けてきましたが、本書はその 1998 年時点のスナップショットとも言える貴重な資料です。

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書籍 "The Film Developing Cookbook" の背景

本書では、さまざまな種類の現像液を活用して異なる現像効果を得る方法や、現像液を原材料から調合・精製する方法、さらにフィルムの長期保存性を高めるための現像方法などが紹介されています。D-76 や ID-11 といった、今日でも名前を聞く現像液やフィルムも登場しているのが特徴です。

この本が書かれるきっかけとなったのは、T-Max フィルムに関する問い合わせでした。著者の一人である Steve Anchell は別の書籍 "The Darkroom Cookbook" を発表した後、「T-Max Film に最適な現像方法が知りたい」という声を多数受けたそうです。そこで共著者の Bill Troop に話を持ちかけ、彼が 1980 年代から蓄えてきたフィルム現像の "レシピ" を整理するプロジェクトが始まりました。本書の編纂には、Grant Haist 博士をはじめとした Eastman Kodak の科学者も協力しており、謝辞にはカリフォルニアの風景写真で有名な Ansel Adams の名前も出てきます。

デジタル化の波にのまれる前夜

本書が発売された 1998 年は、フィルム写真がデジタル写真に押され始めた時期でした。著者たちは巻頭言で "Long may Silver Photography Live" (銀塩写真よ永遠なれ) と綴っており、当時の銀塩写真技術を次世代に残したいという強い想いがうかがえます。

そんな時代に書かれた本書ですが、紹介されている現像に関するテクニックは今でも十分通用するものが多いです。たとえば「粉末状の現像液は、現像直前まで粉末のまま保管する」「現像工程では、できるかぎり蒸留水を使う」などは、現代のフィルム現像ラボでもよく知られている工夫です。

本書ではフィルムに関しても 1 章が割かれています。Kodak Tri-X や Ilford FP4 Plus / HP5 Plus といった、今でも手に入るフィルムも紹介されています。富士フイルムの Neopan シリーズについては "The Neopan films have not been available long enough in the US to carve a niche" (Neopan シリーズは米国で登場して間もなく、市場を広く開拓しているとは言い難い) と評されており、欧米ではまだ知名度が高くなかった様子がうかがえます。

https://r2.film-photo.net/9d505711-1b76-48e1-939c-b17c722bca77.png出典: analoguewonderland

尿でもモノクロ現像が可能!?

3 章では現像液の原料について詳しく考察されています。過去には様々な物質を使って現像を試みた記録も残されており、「汚染された湖沼の水」「古い赤ワイン」「人間の尿」などを用いてモノクロ写真の現像が行われた記録も紹介されています。実践的に活用可能とされた物質は 7 種類あり、その中にはビタミン C として知られるアスコルビン酸も含まれていました。

現像工程については「1 分おきに 10 秒の攪拌を行う」という一般的なテクニックが挙げられていますが、"Minimal Agitation" と呼ばれる攪拌を極力行わない手法も紹介されています。これは Ansel Adams が 1980 年代に写真のシャープネスを高める目的で使用していた方法とされており、3 分おきに攪拌し、現像時間を 50% 程度長くとる必要があるのが特徴です。この手法を初めて世に紹介した Geoffrey Crawley によれば、 FX1 や FX2 のように希釈して使う「非溶解型」の現像液と組み合わせることが望ましいそうです。

20 世紀でもっとも重要な現像液「D-76」

数多くの現像液が紹介されているなかでも、D-76 は "20 世紀でもっとも重要な現像液" として本書は高い評価を与えています。1920 年代に開発されたにもかかわらず、本書が執筆された 90 年代当時も信頼性が高いとされており、その理由としては D-76 がスタンダードとして確立した結果、各フィルムメーカーが D-76 を前提にフィルムを調整していることが挙げられています。著者たちは「白黒フィルム写真の文化が残る限り、D-76 は生産が続くだろう」と書いていますが、2022 年に日本向けの Kodak 製 D-76 が製造中止になりました。現在でも米国では販売が継続されているので、その予言は 2025 年 1 月現在部分的に成就しているといえそうです。

https://r2.film-photo.net/fbc632bd-2ba3-4817-9d23-cdfda7c9c1c4.png出典: cinestillfilm.com

増感現像

終盤の章では、フィルム写真における増感現像 (pushing) についても詳しく取り上げられています。フィルムに記載された ISO 感度よりも高感度設定で撮影し (いわゆるアンダー露光)、その分を現像時間の延長 (オーバー現像) で補う方法です。メリットとしては、高感度の設定が可能になるためシャッタースピードを速くできることや、増感ならではのコントラストや粒子感を楽しめることが挙げられます。本書によると、旧世代のフィルムには FX1、T-Max P3200 や Delta 3200 には XTOL が増感現像に最適とされています。近年では期限切れのフィルムを使う人も増えましたが、期限切れフィルムは増感現像により良い結果を得られることが少なくありません。本書で紹介されている現像液や手法が参考になる可能性がありそうです。

付録・おわりに

巻末には 17 ページにわたるフィルム別・現像液別の推奨現像時間表が付録として掲載されています。1990 年代当時に発売されていた白黒フィルムや現像液を知るうえで、貴重な資料といえるでしょう。古書市場にもある程度流通しており、筆者の手元にある本書の付録には、実際に本書を参考に現像を行った形跡と思われるメモ書きが残されていました。1990 年代の白黒フィルム現像の実情に興味のある方は、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。